西園寺 近衛など、五摂家に引き継がれ、
この仕組みを官僚が取り入れているのか・・・
日本の政治・経済について考えるとき、当然に日本の歴史を理解しておかなければなりません。しかし、日本は国家としての成立過程そのものが、はっきりしていないのです。世界中にこんな国はありません。
そもそも日本を統一した「ヤマト朝廷」の成立が4世紀頃で、世界を見渡しても決して古いわけではありません。
そもそも日本を統一した「ヤマト朝廷」の成立が4世紀頃で、世界を見渡しても決して古いわけではありません。
つまり、天智天皇の娘の持統天皇に取り立てられた藤原不比等が、「大宝律令」と「日本書紀」を通じ、驚くなかれ、現代まで続く「藤原氏」の栄華の基本を作ったのです。
歴史の教科書は、藤原氏の平安時代の栄華しか書いていません。
歴史の教科書は、藤原氏の平安時代の栄華しか書いていません。
藤原家(正確には藤原北家)は、平安中期の藤原道長・頼道のころに最盛期を迎えます。道長は3代の天皇の外戚となります。
歴史の教科書では、藤原家の栄華はこの辺を頂点として衰えていくと書かれています。
歴史の教科書では、藤原家の栄華はこの辺を頂点として衰えていくと書かれています。
五摂家とは近衛・鷹司・九条・二条・一条家のことです。
この藤原氏のやり方は、現在の官僚組織をはじめとする日本の仕組みに、深く受け継がれているような気がしてならないのです。
現在、五摂家は主だった活躍をしていないように見えますが、たとえば日本赤十字社の社長は近衛家当主の近衛忠輝氏です。
現在、五摂家は主だった活躍をしていないように見えますが、たとえば日本赤十字社の社長は近衛家当主の近衛忠輝氏です。