2012年01月01日

日本の官僚組織の起り


中臣鎌足=藤原の鎌足から始まり、
西園寺 近衛など、五摂家に引き継がれ、
この仕組みを官僚が取り入れているのか・・・

なるほど。

日本の政治・経済について考えるとき、当然に日本の歴史を理解しておかなければなりません。しかし、日本は国家としての成立過程そのものが、はっきりしていないのです。世界中にこんな国はありません。

 そもそも日本を統一した「ヤマト朝廷」の成立が4世紀頃で、世界を見渡しても決して古いわけではありません。

つまり、天智天皇の娘の持統天皇に取り立てられた藤原不比等が、「大宝律令」と「日本書紀」を通じ、驚くなかれ、現代まで続く「藤原氏」の栄華の基本を作ったのです。

 歴史の教科書は、藤原氏の平安時代の栄華しか書いていません。


前回までは、藤原鎌足の子の藤原不比等が、律令制度を実質的に作り上げ、その後の藤原氏の栄華の基盤を作ったところまで書きました。


藤原家(正確には藤原北家)は、平安中期の藤原道長・頼道のころに最盛期を迎えます。道長は3代の天皇の外戚となります。

 歴史の教科書では、藤原家の栄華はこの辺を頂点として衰えていくと書かれています。

藤原氏(藤原北家)は、五摂家として名前を変え、天皇家だけでなく、時の有力者とたくみに閨閥を形成して生き残っていくのです。

 五摂家とは近衛・鷹司・九条・二条・一条家のことです。


第二次世界大戦直前の首相であった近衛文麿は、もちろん五摂家筆頭の近衛家当主であり、天皇を輔弼(ほひつ)し、首相候補を天皇に奏上する役目であった(つまり首相を実質的に決める権限があった)元老の西園寺公望も、藤原北家の流れを引く西園寺家でした。


この藤原氏のやり方は、現在の官僚組織をはじめとする日本の仕組みに、深く受け継がれているような気がしてならないのです。
 
 現在、五摂家は主だった活躍をしていないように見えますが、たとえば日本赤十字社の社長は近衛家当主の近衛忠輝氏です。

ラベル:官僚 藤原家
posted by k at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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