2011年04月13日

「ここより下に家を建てるな」



 「高き住居は児孫の和楽 想え惨禍の大津浪」
「ここより下に家を建てるな」 石碑の教えが住民救う


http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/29a16f940cccee8706e0b7561bac66c3


明治29年(1896年)の今日(6月15日)は、明治三陸大津波のあった日だ。今朝(15日)のNHKラジオ第一(7:20ニュースアップ)で伊藤和明さんが語っていた。

綾里村(現在の大船渡市綾里)では、実に38.2mの津波が襲来したという。地震の直接の被害者はいないが、津波による死者2万2千人、流失家屋8千9百戸。人口の7割8割が失われる壊滅的打撃を受けた村もある。典型的な津波地震だ。

今朝のラジオでは、当日は日清戦争から凱旋した兵士を迎えて花火を上げていたとか、結婚式が行われていたとか、翌日は地引き網で死体を集めた、など、さまざまな実話を紹介していた。


http://dragon11net.blog45.fc2.com/blog-entry-798.html


岩手県の海沿いの町には、いくつかこのような石碑があるそうだ。
明治と昭和にあった、大津波を伝えようと作られたものらしい。
先につぶやいた、町はこの先人の教えをまもり、集落全員が助かったそうだ。
おおすばらしいと、興味そそられ調べてみていたところ…、
いくつもある石碑の下に家はたったいるらしい。



東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。

 

 「高き住居は児孫(じそん)の和楽(わらく) 想(おも)へ惨禍の大津浪(おおつなみ)」

 

 本州最東端の●ヶ埼(とどがさき)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。結びで「此処より――」と戒めている。(●は魚へんに毛)

 

 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。

 

 地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。地区自治会長の木村民茂さん(65)「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。

 

(2011年3月30日07時22分 読売新聞)

http://d.hatena.ne.jp/nyankosensee/20110330/1301458254


http://shadow-city.blogzine.jp/net/2011/03/post_5f47.html

posted by k at 12:35| Comment(1) | TrackBack(0) | 震災 放射能 地震 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
先人の教えは偉大です。
謙虚に従うべきです。
Posted by coffee at 2011年04月14日 22:58
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